3月11日(月)
少し時間を遡って、3月11日の東日本大震災の3回忌法要の
お話をしたいと思います。
震災から丸2年が経ちました。高尾山では、14時30分から
梵鐘をならし、御貫首御導師のもと、護摩修行に参加された
御信徒もそのまま本堂に残り、山内職員も参加し、皆で犠牲
者のご冥福を祈りながら、14時46分を迎えました。
同じ頃、高尾山とも復興支援等でご縁のある岩手県宮古市
田老地区でも追悼行事が行われました。田老地区だけでも、
約180名の方が亡くなったそうです。そのご遺族ら500名近く
の方がご参列のなか、全国から集まった約50名の僧侶に
よって、犠牲者の鎮魂と復興祈願の柴燈護摩供が厳修され
ました。前日の火渡り祭後すぐに、高尾山の僧侶も岩手に
向かい参加いたしました。
「今回法要に参加出来て良かった。気持ちがあっても、自分
だけではなかなか…」と本堂での法要後に話していた方が
いました。同じ気持ちの方は多いと思います。
16日(土)に篤志の方のご助力もあり、高尾山有喜苑内に
東日本大震災物故者の供養塔が建立されました。
塔の内部には、犠牲者の御名前を記した名簿が納められて
おります。高尾山に御来山の折には、是非、お手を合わせて
いって頂ければと思います。
亡くなった方を弔うということは、残された人と向き合うことで
もあります。「月日が経つのは、あっという間だが、時間は止
まったまま」と言う被災者のコメントをニュースで聞きました。
震災から丸2年が経ちました。地震や津波自体はどうする事も
出来ません。誰が悪いわけでもありません。
しかし、震災から丸2年が経ちました。
いつまで、被災地を「被災地」と被災者を「被災者」と呼ぶので
しょうか。それは、地震や津波のせいではなく、そろそろ、私達
一人ひとりの責任かもしれません。
天狗の激励
「一人ひとりの祈りは小さいけれど、束になって大きな力
になる。やがて天に届き、生きる力として皆様の胸に
戻ってくる」